【BUBKA 1月号】“扱いづらい新人”UWFの智将が語る追憶の「10・9」金原弘光

24年の時が経ってなお、プロレスファンの興味を誘ってやまない「10・9」東京ドームでの新日本プロレスとUWFインターナショナルとの全面戦争。その記念すべき第1試合を飾り、“真剣勝負"を絶対に許さなかったUインターにおいて、“扱いづらい新人”であった金原弘光が当時を回想する。

写真提供=平工幸雄

髙田延彦から直々に

――文庫化された『証言UWF1984‐1996』という本で、髙田(延彦)さんと武藤(敬司)さんの対談が初めて実現したことで、再び95年の10・9東京ドームで行われた、「新日本プロレスvsUWFインターナショナル全面対抗戦」が話題になっているので。その第1試合(金原弘光&桜庭和志vs永田裕志&石沢常光)を務めた金原さんに、当時の裏話を聞かせていただきたいんですよ。

金原 あの対抗戦って、もう24年も前の話なのにまだニーズがあるんだね~。俺もリングスとかPRIDEで、さんざん大物と対戦してきたけど、いまだに聞かれるのは「10・9」のことだもん。

――それぐらいインパクトがあったってことですよね。あの「10・9」は、開催1ヶ月前に急遽発表され突然実現したこともインパクトが絶大だった要因の一つだと思いますが、Uインターの選手たちが対抗戦をやるっていうのは、いつ頃から聞いていたんですか?

金原 俺たちにとってもある日、突然だよね。夏の日だったから8月末ぐらいだと思うけど、選手一人一人が個別に道場に呼び出されたんだよ。「一体、何だろう?」と思って指定された時間に道場に行ったら、髙田さんと安生(洋二)さんがいてさ。「今、会社の経営が大変なことになってる。借金もかなりの額があって、これを返すために新日本と対抗戦をやろうと思っている。お前は出てくれるか?」って髙田さんに言われたんだよね。

――会社の経営が傾いているのは、その前から選手も感じてたんですか?

金原 いや、全然知らなかった。俺たちは給料が遅れてるわけじゃないし、招待券の割合が増えていたのかもしれないけど、会場も満員になってたからさ。ホント、寝耳に水だよね。でも、髙田さんから直々に「おまえは、対抗戦やってくれるか?」って言われたら、「はい」以外の言葉はないよね。

――一人一人、意思確認をするっていうのは誠実ですよね。

金原 団体で決めたことなんだから、「この試合におまえは出てくれ」とだけ言われるのが普通だよね。でも、UWFスタイルと違うことをやるっていうことが、それぐらい大きなことだったんだよね。

――格闘スタイルを標榜していたUWFが、従来のプロレスに手を染めるっていうことが、タブーを破ることだったという。

金原 だから、そこから宮戸(優光)さんがクーデター的な動きをするんだよね。宮戸さんは取締役だったけど、当時Uインターの運営からは外された感じで、対抗戦も宮戸さん抜きで進められた話だったみたいでさ。俺たち若手をみんな集めて、「新日本と対抗戦をやったら、新日本のいいようにされる。髙田さんも負ける。お前らはそれでいいのか?」っていう話になって。


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金原弘光
1970年10月5日生まれ、愛知県出身。新日本プロレス学校を経て、91年にUWFインターナショナルに入門。同年12月に前田雅和戦でデビュー。Uインター解散後、キングダムでは桜庭とともにエース格に成長。98年にはリングスに移籍し、12連勝を記録。02年からはPRIDEに参戦し、その後はパンクラス、DEEPなどで活躍。2013年3月9日、U-SPIRITSにて近藤有己と戦い、総合格闘技ラストマッチを行った。現在はプロレスラーとして各団体で活躍中。2016年7月、東京都・用賀に「かねはら整骨院」を開院した。