【BUBKA 1月号】吉田豪のレジェンド漫画家編 BUBKA流 スーパースター列伝 vol.28 『ベルサイユのばら』池田理代子

少女漫画に触れたことがなくとも、誰もがそのタイトルを聞いたことがあるであろう『ベルサイユのばら』。宝塚歌劇団史上最大の舞台作品でもあり、世の中に巻き起こした旋風はとてつもなく大きい。現在、漫画執筆だけでなく声楽家としても活躍する池田理代子に、女性が漫画を描くことの困難さなど、当時について吉田豪が迫った!

作品を読んでない人や読者の親にも批判された

――池田先生は、この連載初の女性漫画家ゲストです。少女漫画と少年漫画って、文化がだいぶ違うってイメージがあるんですけど。

池田 それも時代によって違うと思うから。私たちの頃は少女漫画ほとんど男性が描いてましたからね。ちばてつや先生とか……。

――松本零士先生とか楳図かずお先生とか。漫画というものの地位がもともと低い時代で、少女漫画はさらに低かったっていう。

池田 そうそうそう、私なんかもうずいぶん叩かれましたよ。ワッと話題になったぶんだけ、世代が上の男性たちから。子供に害毒を与える代表みたいに叩かれましたね。

――池田先生は、害毒になるような種類の漫画を描いてる人とは違うじゃないですか!

池田 いや、漫画自体が害毒だから。だって手塚治虫先生の漫画が学校の校庭に積み上げられて燃やされたっていうような時代で。

――『ベルサイユのばら』で少女漫画としては異例のレベルの注目を集めたことで、余計に批判の対象にもなっちゃったんですかね。

池田 批判というか、作品を読んでない人からの。読まないで批判するんですよね。特に男の評論家。すごいなと思う。

――あんなに、いろんな意味で勉強になるちゃんとした作品もまずないじゃないですか。

池田 女性にはすごくウケましたけど、でもやっぱり子供の親世代とかはすごかったですね。私があんなものを描くから子供が漫画に夢中になるとか電話してきて。春休みとか夏休みになると子供たちが家出してくるんですよね、漫画家になりたい、弟子にしてほしいって。それで、ちゃんと保護して家に帰るよう連絡を入れるとすっごい親に怒られるの。

――保護したのに感謝すらされない。

池田 そうなんです、「あんたがあんな漫画を描くからだ!」って。すごい時代でした。

――その頃はやっぱり女性の漫画家という時点で、たいへんな部分もあったんですか?

池田 女性は結婚したら家庭に入るのが当り前だって思われてた時代ですから。とにかく、いろいろすごい時代でした。

――出版社も男性が中心だし男性社会で。

池田 そうそう、編集部全部男性でした。

――そんな世界で闘ってきたんですね。

池田 闘ってというか、気持ち的には「うるさい、私の人生だ」と思って生きてきましたね。いまはクールジャパンなんとか担当大臣とかいるじゃないですか、最近も国会中継を見てたら、蓮舫さんに「ところでクールジャパンってなんですか?」って聞かれて、「それはですね、われわれ日本人がそんなにいいと思わないものでも外国人にはどうもいいものがあるらしいんですね」って(笑)。


――インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA1月号にて!


いけだ りよこ
1947年12月18日、大阪府出身。貸本漫画を経て少女漫画誌で執筆を行ない、1972年から『週刊マーガレット』で連載した『ベルサイユのばら』で大ヒットを飛ばす。そのほかの主な作品として『おにいさまへ…』『オルフェウスの窓』などがあり、『オルフェウスの窓』では第9回日本漫画家協会優秀賞を受賞。「『ベルサイユのばら』で読み解くフランス革命」など、漫画以外の著書も多数。1995年より東京音楽大学声楽科で学び、声楽家としても活動している。