【BUBKA 3月号】吉田豪のBUBKA流スーパー列伝 レジェンド漫画家編 VOL.30『名たんていカゲマン』 山根青鬼

双子の弟・赤鬼と共に、少年誌や学年誌などを中心に大活躍した山根青鬼。故郷の富山県で天才の双子と激賞された少年時代から始まった漫画家人生はどういったものだったのか? 師匠である『のらくろ』の巨匠・田河水泡のもとでの修行時代や、トキワ荘のメンバーとの交流なども含めて、吉田豪がじっくりと聞いた!

14歳の若さで双子の弟と一緒に漫画家デビュー

――田河水泡・のらくろ館での『山根青鬼画業70周年記念展』に来てるんですけど、想像以上に幅広い作風だったことに驚きました。けっこうエグめな作品も多かったし。

山根 そうそう(笑)。ホントよく描いたなと思いますよ。でも毎回毎回、楽しんで描いてましたから苦痛には感じてないんですよ。

――キャリア70年はまず聞かないですよ。

山根 でしょうね。先輩はいっぱいいましたけど、70年やってる人はちょっといないと思います。僕はデビューが早かったから。

――中学生でデビューして。

山根 14歳ですね、中学2年。ですから70年よく続けてこられたというか、好きだからできたんじゃないかと思いますよ。無理に漫画家になったわけじゃないし、趣味で描いてるうちにだんだんそれが職業になって楽しく描いてたっていう、それの連続でしたから。

――双子の弟である山根赤鬼さんと同時に漫画家デビューというのも珍しいですよね?

山根 そうですね。双子だからいつも一緒に遊ぶでしょ、友達いなかったですし。ずーっとふたりで紙があったら絵を描いてました。

――双子なだけでイジメられたんですか?

山根 しょっちゅうです、しょっちゅう双子双子って言われてイジメられてね。親は同じ服を着せたいわけ。ところが僕らふたり同じ格好してると「双子!」ってイジメられるから、よく外に出たら服を裏返して着たりね。

――要は無駄に目立っちゃうのが原因で。

山根 そう、でも双子でよかったなと思いますよ。漫画もふたりで相談しながらできるでしょ。ほかの漫画家がよく言ってましたよ、「あんたらいつもふたりで相談しながら仕事してうらやましい」って。アイデアが出ないときは相談して、赤鬼も「こういうのはどう?」って言ってくれるから。その逆もありますよね。お互い仕事のうえでは楽でした。

――兄弟仲は良かったんですか?

山根 良かったです。ほかの人がうらやましがるぐらい仲良かったけど、仕事のうえではライバルですから。こういうアイデアはダメだとか、これがいいんじゃないかとか、そういう言い争いはありましたけど殴り合いなんてやったことない。ケンカはないですね。ふたりで同じ本に描いたこともあるけど、あいつより俺がおもしろく描こうっていうね。また編集の人が煽るわけ、「赤鬼さんに負けるな」「青鬼さんに負けるな」って言ってくるから、「よし、今月はあいつを抜こう!」とか、そういう気持ちで描いてましたね。


――インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA3月号にて!


やまね あおおに
1935年8月16日、東京都出身。1949年に北日本少年新聞において、双子の弟・赤鬼との合作『北日坊や』で漫画家デビューを果たす。1950年に田河水泡の門下生となる。手がけた作品は『めだかちゃん』『なるへそくん』『くろっぺ』『名たんていカゲマン』など多数。1989年、師匠の田河水泡から『のらくろ』の執筆権を継承し、『のらくろ探偵団』『のらくろ政治漫歩』などを現在も執筆している。2009年、中国長春「吉林動漫学院」客員教授。2010年に、第39回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。他、多数受賞。2012年、富山市「高志の国文学館」に永久展示。日本漫画協会理事。山根青鬼一門会代表。