【BUBKA4月号】「日本一売れている映画雑誌」の復活を願う総力特集 『映画秘宝』ネヴァー・ダイ! 杉作J太郎

1995年に刊行された映画専門誌『映画秘宝』。現在は映画評論家として活躍している町山智浩氏が創刊した映画専門誌で、そのマニアックかつ、よい意味で偏った内容で多くの人から支持を集めた。そんな同誌の休刊が昨年12月に発表された。 休刊の理由は、「発行会社・洋泉社が親会社・宝島社に吸収合併されるが、宝島社に同誌を刊行する意志がないため」というものだった。『映画秘宝』が売れていなければ納得の理由だが、同誌の岩田和明編集長が発表した「『映画秘宝』は、日本一売れている映画雑誌のまま、休刊いたします」というコメントのとおり、決して売上が不調ではなかったことも、関係者やファンに大きな衝撃を与えた。 今年の1月21日に休刊号である2020年3 月号が発売されて、同誌の25年の歴史は一旦幕を閉じた。これだけたくさんの人に惜しまれている同誌が果たした役割とはなんだったのか? そして復活はあるのか!? 『映画秘宝』と縁の深い杉作J太郎氏と岩田和明編集長に同誌の思い出を振り返っていただいた。

編集中に大ゲンカ

――杉作さんは『映画秘宝』がムックだった時代から関わってらっしゃいましたよね。

杉作 その前の『映画宝島』(『映画秘宝』の前身)からですね。当時、町山(智浩、『映画秘宝』を立ち上げた編集者)さんとよく映画の話をしてました。まだ、僕が『平凡パンチ』(マガジンハウスが出版していた男性向け雑誌。杉作さんは同誌の編集者だった)にいたころですよ。マガジンハウスがある銀座の歌舞伎座の横に喫茶店があって、仕事やんなきゃいけないのにサボって町山さんとずーっと『不良番長』の話をしてましたよ。

――町山さんとはどういう形でお知り合いになったんですか?

杉作 『宝島』(町山さんが編集者として在籍していた)の編集部で見かけたことはあったかもしれないけど、仕事をしたのは映画関連のものが初めてだったと思います。町山さんとは映画の話しかしてないんじゃないですかね。

――『映画秘宝』は1995年にスタートしましたけど、どういう印象を持たれましたか?

杉作 僕も丁度そのころ、いわゆる映画の本流とはちょっと違う感じの『不良番長』シリーズとか、ああいう映画の解体運動をしているような作品、ショッキングだったりアバンギャルドだったりして、いわゆる観客満足度は低いかもしれないけど、人類が生きていく上で刺激になるような、ああいう作品を評価する映画の採点方法があっていいと思ってたんですよ。だから、そういう新しい批評軸の、新しい見方をする本がいよいよ出たんだなと。でも、最初はここまで続くとは思ってなかったですよ。みんなが読むような本になるとは……まあ、みんなが読むような本でないから終わったのかもしれないですけど。

――いやいや、売れてたのは間違いないですから(笑)。

杉作 『映画秘宝』はサブカルチャーじゃなくて、カウンターカルチャーだったと思います。挑戦的な部分があったと思います。

――何に対するカウンターですか?

杉作 いわゆる高尚なもの、アカデミックなもの、世間の一般常識、お高くとまったもの。そういったものに対するカウンターだったと思いますね。

――杉作さんの『ボンクラ映画魂 三角マークの男優たち』も秘宝編集部から出た本ですよね。

杉作 そうそう。あれは秘宝編集部が出した最初のころの単行本だったと思いますよ。とにかく編集中に大ゲンカしながら作ってた記憶があります。

――なにが理由でケンカになったんですか?

杉作 今まで扱われてなかったような作品しか扱ってない本だったし、前例もヒナ型もない本だったんですよ。だから、作ってる連中によってどうにでも解釈していけるわけですよ。それで、たびたび揉めてましたね。僕は田野辺(尚人、第2代『映画秘宝』編集長)さんに「町山に文句言ってこい!」なんて言ってたから、田野辺さんは大変だったと思います。僕と町山さんの間にはさまれて。


――インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA4月号にて!


杉作J太郎
男の墓場プロダクション代表。漫画家、タレント、映画監督。南海放送ラジオ『痛快!杉作J太郎のどっきりナイト7』でラジオパーソナリティとしても活躍中。