【BUBKA4月号】前田激怒や不穏試合 パンクラス抗争── リングス事件簿 坂田 亘

第2次UWF崩壊後、前田日明が創設したリングス。現在の総合格闘技では当たり前の階級制度がなく、シュートとワークが混在する真剣勝負が繰り広げられた。より一層濃くなる虚実の霧の中で、当時の若手──後にハッスルと総合格闘界を風靡する坂田の目に映った真実とは。不穏試合や前田のブチギレ事件、パンクラス抗争をいま振り返る。

写真提供=平工幸雄

UWFに憧れて

――坂田さんが、前田日明さんのリングスに入るきっかけってなんだったんですか?

坂田 俺の小学校高学年から中学時代、アントニオ猪木、前田日明の二人が憧れの存在だったんだよ。だからレスラーになりたいというより、その二人みたいになりたかった。その後、前田さんが新生UWFを旗揚げしてからは、「UWFに入りたい」という夢に変わった感じかな。

――じゃあ、中学時代からもうレスラーを目指していたんですか?

坂田 中学では完全に目指してたね。周りにも「UWFに入る」って言い張ってたし。

――スポーツは何をされてたんですか?

坂田 身体を鍛えるために、ウチの中学で一番厳しい部活に入ろうと思ったんだよ。そしたら器械体操部が一番キツい練習してるって聞いたから器械体操を始めたんだけど。中学や高校は夏に全国大会的なものがあるじゃない。その時、日程があれば俺は相撲部とか水泳部、柔道部とかに駆り出されてた。だから健康優良不良少年だったんだよ。

――不良でもあったんですね(笑)。

坂田 不良だけどスポーツ的なことはとりあえず強いっていうね。

――ところがその後、UWFは解散しちゃうんですよね。

坂田 あの時、田舎の少年からしたら、この世の終わりぐらいの感じだったよ。「俺はこれから何を目指して生きていったらいいんだ」ってね。

――結局、UWFは3派に分裂して。やはり憧れの前田さんが旗揚げしたリングスに行こうと思ったわけですか。

坂田 3団体全部気になったけど、やっぱり最初に憧れたのが前田さんだったのと、あと映像で観れたのがリングスだけだったから、自然と気持ちがそうなっていったんだよね。

――リングスはWOWOWで全試合やってましたけど、UWFインターや藤原組はやってませんでしたもんね。

坂田 Uインターは、ビデオをまとめて借りたりもしてたんだけど、リアルタイムで観れたのはリングスだけだったから。あと、藤原組はちょっと暗くて、申し訳ないけど憧れなかったな。船木(誠勝)さんなんか、UWF時代あんなにカッコ良かったのに、藤原組では暗い感じだったから。

――それで上京して、リングスに入るわけですか。

坂田 中学からグレまくって、ケンカはしてたけど体力的に落ちてる気がしたから、アニマル浜口さんのジムで10ヶ月ぐらい身体を鍛えなおしてからリングスの入門テストを受けたね。で、10人ぐらい受けて、どう考えても体力テストでは俺が一番だったのに、落とされたんだよ。受かったのはみんな身長180㎝以上のヤツばかりで、俺は180㎝なかったからさ。


――インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA4月号にて!


さかた・わたる
1973年3月11日生まれ、愛知県出身。高校卒業後にアニマル浜口レスリング道場に入門、93年に入団したリングスから翌年デビューし、前田日明に師事した。01年には坂田道場を設立、EVOLUTIONを結成するとDEEP、UFO LEGEND、PRIDEなどのリングに上がり、総合格闘技界にも進出。ハッスルでは坂田軍団を率いて躍進、同団体の活動休止後はハッスルMAN'Sワールドを設立し代表に就任した。16年に桜井“マッハ”速人戦で引退。