【BUBKA4月号】吉田豪のレジェンド漫画家編BUBKA流スーパースター列伝 vol.31 『おやこ刑事』大島やすいち

『週刊少年サンデー』で漫画家としてデビューした後、『週刊少年マガジン』で連載した『バツ&テリー』で大ヒットを飛ばす。その後は、『ミスターマガジン』『漫画アクション』などの青年誌でも執筆し、現在は時代劇漫画誌『コミック乱』で連載するなど、幅広い分野で活躍する大島やすいち。10代でのデビューから現在まで現役として走り続けている、その漫画家人生についてプロインタビュアー吉田豪がじっくりと聞いた!

漫画家になるため高校生の間にデビューしようと思った

大島 ほかの先生方はみんなドラマチックですけど、私の取材は本当にマズいヤツを引いたって感じですよ。ただ漫画を描いてるだけだから。品行方正ですしね。自分で言うのもなんだけど、なんにもおもしろいことない!

――ダハハハハ! そう言いながらもみなさんそれなりに何かあったりするんですけど。

大島 そうでもないんですよね。さっき平田(弘史)先生の記事(19年5月号)を見たけど、ああいう芸術家でもないからな。ああいう人のほうがおもしろいじゃないですか。

――あの人は別格ですよ!  大島先生の作品は子供の頃から読んできてるので、まだ65歳なんだっていうことに驚きました。

大島 そうなんですよ、デビューが17歳なんで、長くやって歳とってるみたいだけど。

――大ベテランのイメージですよ。

大島 長いだけで(笑)。高校1年でデビューしようと思ってたんですよね。高校のあいだにデビューするか足がかりを作っておかないと、あの時代は漫画を描いてるなんてバカにされましたから。ついこないだまで電車のなかで大人が漫画を読んでるってみんなバカにしてたでしょ? いまは芸術だとか日本の文化だとか言ってますけど、僕らのときは親も漫画を描いて生活できるなんて思ってないじゃないですか、そんな人見たことないし。

――当然、親も反対するわけですよね。

大島 反対ですよね。だから高校に行ってるあいだになんとかしないと。いまみたいに漫画の専門学校があるわけじゃないでしょ。

――もともとお母さんを楽にするために漫画を描き始めたって説もあるじゃないですか。

大島 いや。ウチは金持ちじゃないし、どっちかというと貧乏ですけど、そんなに困ってるわけじゃないし、そんなにいい話じゃないです。自分がなりたいからなっただけで。

――ここがドラマチック要素だと思ったら。お姉さんの学費を工面するために漫画を描いたみたいな説が語られてたんですけど……。

大島 違うんですねえ。僕が高校でデビューして、姉ちゃんは短大に行ってたんですよ。僕はもうデビューしたから大学に行かないよって言って、そしたら姉ちゃんが「じゃあ4年制に編入していいか?」って編入したの。

――じゃあ漫画でうんぬんというより、家のお金がそっちに流れただけという程度の話ですか。

大島 うん、だから貧乏だけど金で苦労したわけじゃない。ふつうの子なんですよ。

――お母さんが漫画家になることに反対して漫画を破いたって噂も聞いたことあります。

大島 母親はべつに何も言わなかったんですよ。ただ、父親はやっぱり小学校まではいいけど、中学校になったらどの人も漫画を読まずに勉強とかほかのことすると思うじゃないですか。僕はあの頃からオタクだったんで。


――インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA4月号にて!


おおしまやすいち
1954年3月24日、京都府出身。1971年の高校3年生のときに、『週刊少年サンデー』にて『青春の土』で漫画家デビューを果たす。主な作品としてドラマ化された『おやこ刑事』(原作:林律雄)、第8回講談社漫画賞を受賞した『バツ&テリー』、現在『コミック乱』にて連載中の『剣客商売』(原作:池波正太郎)などがある。妻の川島れいこ、娘の大島永遠、三島弥生も漫画家という漫画家一家としても知られている。