【BUBKA5月号】なぜグレイシーに勝利できたのか? 『2000年の桜庭和志』著者 柳澤健
猪木が生んだ「プロレスとは最強の格闘技である」というファンタジー。“真の強さ”をめぐるサーガは、『2000年の桜庭和志』という1つの終着点に辿り着く。UWFインターナショナルという特殊環境下で、多様な格闘スタイルを融合させたIQレスラーがグレイシー一族と対峙し、プロレスというジャンルそのものを証明する奇跡の瞬間──血湧き肉躍るノンフィクションシリーズを手がける著者に、「最終章」として位置づけられる話題の自著を語ってもらった。
写真提供=平工幸雄
猪木が生んだ幻想
――『1976年のアントニオ猪木』から始まった、柳澤さんのプロレスノンフィクション『○○年の〜』シリーズで、今回、桜庭和志選手を題材にしようと思ったきっかけはなんだったんですか?
柳澤 やや記憶は曖昧なんだけど、前作の『1984年のUWF』は当時の『Number』松井一晃編集長から「やりましょう」と言われて書き出したんですよ。だからUWFの次にPRIDEのヒーローである桜庭和志をやるのは、ごく自然な流れだったと思う。
――『1984年のUWF』の続編という位置付けなわけですね。
柳澤 はい。私が書いてきたプロレス関係の本はすべてつながっているとも言えますね。以前、誰かがツイッターで「柳澤が書いているのは、すべて『1976年のアントニオ猪木』の続編だ」って書いていて「うまいことを言うな」と思いました。『1964年のジャイアント馬場』は、76年の猪木に至る〝前史〞であり、76年の猪木が生み出した「プロレスとは最強の格闘技である」というファンタジーを継承したものが『1984年のUWF』なので。
――その意味で言うと、猪木、UWFが作り出したファンタジーを現実のものとしたのが2000年の桜庭和志ですよね。
柳澤 はい。あと、『2011年の棚橋弘至と中邑真輔』は、プロレスと格闘技をいつまでもゴッチャにし続けた猪木がボロボロにした新日本プロレスを再建する物語です。私は1976年にアントニオ猪木が生みだしたファンタジーをテーマとするサーガをずーっと書いてきた。ひとつの終着点が桜庭であり、もうひとつの終着点が棚橋と中邑だった。
――ある意味で、日本のプロレスとは猪木の歴史であり、UWFや桜庭、棚橋と中邑もその中のひとつという見立てですね。
柳澤 だから今回の桜庭の本というのは、長い長い物語の一部。『スターウォーズ』でいえば『ハン・ソロ』を主役とするように桜庭和志を主役として書いたとも言えるかもしれない。
――僕は今回の『2000年の桜庭和志』を読んで、桜庭選手だけが主役とは言えないんじゃないかと思ったんですよ。『1984年のUWF』のタイトルを『1984年の佐山聡』としなかったのは、佐山ひとりではUという現象を書きつくせなかったから『1984年のUWF』になったと思うんですけど。それに倣うと、今回は『2000年の桜庭和志とグレイシー一族』というのが、より的確なタイトルだったんじゃないかなって。
柳澤 確かに。
――インタビュ―の続きは絶賛発売中のBUBKA5月号にて!
やなぎさわ・たけし
1960年東京都生まれのノンフィクション作家。慶應義塾大学法学部を卒業後、文藝春秋に入社。雑誌『Number』などを担当。03年にフリーライターに転身、07年に『1976年のアントニオ猪木』を発表した。『1984年のUWF』は大きな話題を呼んだ。
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