【BUBKA10月号】船木誠勝スペシャル・インタビュー(前編)「新日“暴動”の真実」

総合格闘技での壮絶な死闘のイメージが鮮烈な船木誠勝だが、キャリアの出発点は全盛期の新日本プロレス。80年代半ばに熱狂を巻き起こした維新軍の革命やUWF勃興――〝暴動〞も多発した時代に見てきた真実とは? 格闘人生を振り返る2号連続インタビュー。

写真提供=平工幸雄


たけしを守れ

――今、(アントニオ)猪木さん、長州力さん、前田日明さんなど、多くのプロレスラーがYouTubeチャンネルを開設してますけど、船木さんはその先がけですよね?

船木 たぶん、自分が最初ぐらいじゃないですかね。インターネットの取材を受けたとき、その人がたまたまYouTubeを手がけていて、「やってみませんか?」と言われたのがきっかけですね。当初はカメラに向かって一人語りするなんて無理だと思ってたんですけど、最近はもう1時間しゃべってますね(笑)。

――頭を整理してから、ちゃんと自分の言いたいことを言えるようになったわけですか。

船木 そうです。だから、1本撮るのに一週間くらいしっかりと考えて、色々思い出して、順序立てて話すようにしていますね。

――船木さんって世代的に、昭和のプロレスファンが興味を持つようなことの真相を語るのにピッタリですよね。80年代新日本プロレスの重大事件をすべて至近距離で目撃していて。

船木 自分が入門したのは、(84年)4月11日なんですけど、それは旧UWFが旗揚げした日なんですよ。それで入門2ヶ月後には蔵前(国技館)の暴動があって。

――第2回IWGP決勝戦の猪木vsハルク・ホーガンが、長州力の乱入で不透明決着に終わり大暴動になった事件を、入門したての新弟子時代に経験しているという。

船木 80年代に暴動は3回ありましたけど、3回すべて経験してますから。

――貴重な証言者ですよ(笑)。しかも、その場にいてもけっこう詳細を忘れていたりする人も多いですけど。船木さんの場合、10代の多感な時期に経験しているからか、記憶が鮮明ですよね。

船木 映像で覚えてるんですよ。記憶を辿ると、その人の喋る声まで聞こえてきますから。だから、YouTubeで昔を振り返るっていうのは、すごく楽しいですね。歴史の真実を語っておくというのは、自分の自伝以上のものになると思いますんで。

――語りが史実になるわけですもんね。最初に84年の蔵前の暴動を経験したときは、どう思いましたか?

船木 当時、自分は維新軍の付き人補佐をしてましたんで、長州さん側にいたんですよ。でも、いわゆるアングルですか。最後に長州さんが乱入するなんて、自分はまったく知りませんでした。だから、ああいう結末になったとき、自分もその頃はファンの感覚だったんで、「確かに、この決着じゃあファンは怒るだろうな」と思いましたよ。それで乱入したあと、上の人から長州さんを「誰の目にも触れさせないでタクシーに乗せろ」っていう指令がきたんです。


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ふなき・まさかつ
1969年3月13日生まれ、青森県出身。1984年に新日本プロレスに入団。翌年の後藤達俊戦でデビュー。その後、UWF、藤原組を経て、パンクラスを旗揚げし、日本の総合格闘技の先駆者の一人として活躍した。2015年にWRESTLE-1を退団してからはフリーのレスラーとして活動を続けている「ハイブリッド・レスラー」。自身のYouTubeチャンネルではレスラー生活を振り返る動画を配信中。